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生物から見た世界 ユクスキュル・クリサート 暇と退屈の倫理学 國分功一郎

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ユクスキュル・クリサート 1864-1944 エストニア出身 


AIの台頭が目立つ昨今、本書で紹介されている概念「環世界」について議論されることが増えているとか。

哲学でも議論されている「認識論」について、ユクスキュルが唱えた「環世界」という概念は、当時は新しい視座を与えるものだったらしい。

AIはデータ・アルゴリズム・目的によって構成された人工的意味世界であり、生物のように「感じ、意味を生む」ものではない。

「人間にとって意味を持つ物体も、ウニにとってはまったく意味を持たない。それぞれの生物は自分の環世界の中でのみ、物を“対象”として経験する。」

ハイデガーは「環世界」の概念を受けて、「形而上学の根本概念」の中で、「存在論的な差」を問題にした。

動物は自分の環世界(刺激‐反応の円環)の中で生きているが、
“世界そのもの”に開かれてはいない
それゆえに「世界貧しき存在(weltarm)」と呼ばれる。

このときの「貧しい」とは「劣っている」という意味ではなく、
“世界を意味として全体的に把握できない”という構造上の違いを指す。


自身の転職で起こった構造を環世界で説明してみる。

新しい分野への職種で、今までの知識が使えない状況だった。

新しい環世界に飛び込むような感覚。

その中で、今まで大切にしてきたアートなどの、感性が必要な対象への興味が減った。

自己防衛として、環世界を広げず、小さい空間で閉じこもっている状態にいた。

現在は、仕事の全体像が見えてきたから、他のことに興味を持てるようになった。

=環世界の移動を行えるようになった。


環世界の内側に閉じこもる行為を、動物的な状態を劣っていると思ってはダメ。

一つの環世界に浸り続けることは、当時は大切な行為だった。そう、結論づけている。

転職したての時にどうしても環世界に入れない時、おそらく人は転職に失敗したと後悔する。

その状況が続くと色々なズレが生じて精神的に支障をきたすのだろう。

その職種にガチっとハマれることは幸せなことかもしれない。

その後、できれば、他の環世界にも気づきたいし、今でいうクオリティオブライフが高い人は、環世界の移動が上手いのかもしれない。


改めて、「暇と退屈の倫理学」を読み返した。

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環世界の話は第6章から出てくるが、先に「消費と浪費」について考える。

今、暇に直面している私が、刺さった項目は第四章の贅沢とは何かについてだった。

消費は目的がある行為。(必要があるから、役に立つから)

浪費は目的に縛られない行為。(役にたつ、意味があるとは限らない。無駄のように見えるけど自分にとって自由を含んだ行為)

現代人

労働するというのは生き甲斐という観念を消費するため。

余暇は非生産的活動を消費する時間となっている。

この引用で書かれているのは、あくまで、「消費」について

非生産的な活動をするために我々はお金を払っている。

暇が嫌で、休日は何かイベントを入れようと必死になっていた時期があった。

浪費のような余暇の過ごし方はどんなものがあるか?


具体的にどうやって自由に余暇を楽しんでいくか考えてみた。

・仕事に関係ないことに興味を持つこと。

・お金がかからないイベントでも楽しむこと。

それらを意識して過ごしている。


お金を使うのは楽しい。

かかった金額に比定して楽しまなくてはという意識が働くのか、お金を使うと、より楽しく感じる。(罪悪感も生じる時もあるが)

でも、この2年私が楽しいと思ったことって、すごく身近で素朴なことだった。

散歩したり、1杯500円のコーヒーで2時間友達と話すことだったり。

そういう時間も大事にすべきだよなぁと。


いや、もちろんお金を使うのは楽しい。

ミュージカルに1万円以上払っているし、ワインの講座に1万円以上払っている。

2、3時間で消費するには多い金額だけど、さらにその経験の余韻を延ばすように努めている。

例えば、このブログのように、それらのイベントのことを記録するようにしている。

ブログ記事としてまとめることによって、イベントをもっと深く味わうことが出来、消費する罪悪感も軽減しているような気がする。

以上、浪費と消費についての話は終わる。


環世界についてまた話が戻る。

退屈と環世界についてこんな記述があった。

人間は相当に不安定な環世界しか持ち得ないこと。

人間は一つの環世界に浸っていることができない。

ここについてなるほど、と思った。

仕事にしても勉強にしても趣味にしても、環世界に浸り続けるにはどうすれば良いのだろうというのは当面の課題だったりする。

集中力が必要なのか?


暇と退屈の倫理学で最後の方に、「動物になること」と「人間になること」の往復が大事ということが書かれている。

動物になるとは、環世界にガッツリ閉じこもってる状態。

仕事に熱中したり、家族や友達と話すことに熱中したり、読書に熱中したりすること。

動物になると時間を忘れやすい。

最初の話に戻るが、転職したてはの時、周りが何も見えなかった(感性が減っていた)と思っていたが、動物になれていたのだと思う。

非常に大切な状態だった。


去年、この本をテーマに読書会をした時のことを思い出した。

私は暇で退屈しており、どうしようもなく不安や不満を抱えてる時期で

第一形式の仕事の奴隷になるべく転職活動をしていた。

馬車馬のように働きたいとポロっと言ったことを覚えている。

おそらくは、環世界の中に潜って、動物になれるような仕事をしたかったのだろう。

今は、定期的に動物になれてる気がする。


読み返して、たくさんの哲学者の名前が出て来て、それらの一部に見覚えがあることが嬉しかった。

まだまだではあるが、確実に哲学の知識が増えていることを実感した。

暇と退屈の倫理学は、これからも何度も読み返したい。




【名著】生物から見た世界|なぜ僕らは“わかり合えない”のか?~生物学者ユクスキュルが暴いた『世界の嘘』~