きままな

気ままに日頃考えていることを文章にまとめるブログ。

国立新美術館 蔡國強 宇宙遊 ―〈原初火球〉から始まる

M

会期最終日、鑑賞してきました。


何故、彼の展覧会を見たいと思ったのか?

よくわからないけれど絶対行こうとメモしていました。

鑑賞後、図書館で関連書籍を見ていて、思い出しました。

2008年に広島現代美術館のヒロシマ賞を受賞されていました。

鎮魂の黒色花火 ヒロシマ賞の蔡國強さんが表現 | 中国新聞ヒロシマ平和メディアセンター

この写真にインパクトを受けた記憶があります。


蔡國強 1957年生まれ 中国出身

1986年〜1995年日本で活動、現在はニューヨークを拠点としているようだ。

爆薬を創造的に使用した作品ばかり。

1991年に東京で個展が開催。

本展覧会は、蔡國強が30年前に発表した展覧会「原初火球」を蔡の芸術における「ビッグバン」の原点と捉え、そして、この爆発を引き起こしたものは何であり、その後今日まで何が起こったかを探求しているらしい。


大きな、仕切りのない会場に展示されたインスタレーション作品。






系統はかなり違うけど、大学生の時に知って好きになった芸術家にChim↑Pomという芸術家集団?がいます。

彼らの作品に出会ったのも広島です。

彼らはゲリラ的に原爆ドーム上空に飛行機雲で「ピカッ」と書いています。。

2009年の話。

さまざまな議論が飛び交い話題となりました。

当時の原爆ドームの写真はポストカードとして売られており、最近、アーティゾン美術館で発見して購入した。


『なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか』Chim↑Pom | 現代美術用語辞典ver.2.0


広島現代美術館で個展が開催される予定だったが,その騒動のため、中止となり、

再挑戦として、2013年2月、旧日銀広島支店で個展が開かれ、それを見に行きました。

ヒロシマの表現 再挑戦 Chim↑Pom 旧日銀支店で個展 | 中国新聞ヒロシマ平和メディアセンター


彼らの若いエネルギッシュな作品たちは

時々理解に苦しみ、評価されないこともあるけど

当時の私はとても衝撃を受けました。

会場の旧日銀広島支店の古さもものすごく良かったです。



本題に戻って蔡國強の話を。

展覧会全体通して、エネルギーは感じて圧倒されましたが、よくわからなかったという感想が本音です。

宇宙は大好きですし、それを感じさせられる作品であることはわかりました。


最近中国のアーティストが気になっています。

現在の中国の政府批判的な作品を創作している方も入れば、中国国内にとどまり活動をし続けている人もいます。

どういう思想があるんだろうと興味を持っています。

ABSTRACTION アーティゾン美術館

M



2023/8/13
アーティゾン美術館で開催されているABSTRACTION を鑑賞しました。


ABSTRACTIONとは抽象という意味。
抽象絵画の覚醒と展開 セザンヌ、フォーヴィスム、キュビスムから現代へ」
という副題がつけられている展覧会。
それぞれの意味をおさえておきましょう。



フォーヴィスム
野獣派。20世紀初頭の絵画運動の名称。
ルネサンス以降の伝統である写実主義とは決別し、目に映る色彩ではなく、心が感じる色彩を表現した。
1905年、パリで開催された展覧会サロン・ドートンヌに出品された一群の作品の、原色を多用した強烈な色彩と、激しいタッチを見た批評家ルイ・ボークセルが「あたかも野獣の檻の中にいるようだ」と評したことから命名された。


運動の中心人物の1人は、有名な画家、マティスです。
当時の絵は色がベタベタと塗られた印象で、立体感が感じられないです(個人感覚)。
同時期に上野の東京都美術館でも展覧会が開催されており、見に行きました。



キュピズム
「立体派。20世紀初頭にパブロ・ピカソとジョルジュ・ブラックによって創始され、多くの追随者を生んだ現代美術の大きな動向である。それまでの具象絵画が一つの視点に基づいて描かれていたのに対し、いろいろな角度から見た物の形を一つの画面に収めた。」
ゴツゴツした印象を持つ、ピカソの絵有名ですね。


ルネサンス以降
ルネサンス期は、一般的に14〜16世紀の時期を指します。
人物画や、宗教画、風景画が多い印象を持っています。



展示されているアートたち
19世紀末から現代に至るまで、時系列に沿って、様々な抽象的な作品が紹介されています。
フォーヴィスム、キュビスムなどの美術は、19世紀末から第一次世界大戦が勃発するまでの間、平和と豊かさの満ちた時代に誕生しました。
その後その波は日本にも流れて、様々な芸術作品が生み出されています。
(サイト内の紹介文引用)



<作品の紹介>
抽象絵画は難解というイメージがあると思いますが、私も難解だと思います。
絵画の本当の価値を理解するためには作者のことや時代背景を知らなければ、ただ感覚的に、好き・嫌いという評価のみで作品を見てしまい、深められないなぁと思っています。
膨大な数の作品の中で、私が気になると思った数点をここで紹介したいと思います。


アンドレ・ドラン
1880年6月10日 - 1954年9月8日
フランスの画家。フォーヴィズム。キュビズム風の作品もある。

女の頭部 1905年
マティス展をみてから、フォーヴィスムの画家たちの作品に興味があります。
女性の特徴も捉えられていて、めちゃくちゃうまいなぁってのが第一印象として持った感想です。
人の顔を描く上で、本来なら、緑色など使うはずないですし、当時、こういう画風をみて、新しくてすごいと感じる気持ちはわかります。



アルベール・グレース
1881年12月8日-1953年6月23日
フランスの画家。キュビズム。
オランダの前衛運動デ・ステイルのメンバーとしても活動。
多くの理論書を書いており、バウハウスの創設に影響を与えている。
(バウハウスとは、1919年、ドイツのヴァイマールに設立された、総合的造形教育機関。)

手袋をした女 1922年
幾何学的図形のように構成されている絵。
ぱっと見、手袋がどれかよくわからないですね。
計算され尽くした感じ。
コレクションハイライト: | アーティゾン美術館



ジョージア・オキーフ
1887年11月15日 - 1986年3月6日
アメリカの画家。
70年にも及ぶ長い画歴のなかで、ほとんど風景、花、そして動物の骨だけをテーマとして描きつづけた。
アメリカで抽象画を描いた最初期の画家。

オータム・リーフⅡ 1927年

1922-1931年に落ち葉の絵をよく描いていたようです。

特に秋の紅葉が好きだったようです。

力強い絵。

赤色だからもあるけど燃えるような葉っぱ




日本の抽象画を描く画家たちの作品も多く展示していました。


堂本尚郎

1928年3月2日 - 2013年10月4日

芸術家を輩出する一族に生まれた。

1952年日本画から油彩画へ転向。

1955年、27歳でパリに渡り、台頭しつつあったアンフォルメルの運動に身を投じた。


アンフォルメル運動

1940年代半ばから1950年代にかけてフランスを中心としたヨーロッパ各地に現れた、激しい抽象絵画を中心とした美術の動向をあらわした言葉である。

同時期のアメリカ合衆国におけるアクション・ペインティングなど抽象表現主義の運動に相当する。

集中する力 1958年

堂本尚郎 | アーティゾン美術館

心の内面がうねりのように表現されているような

でかい絵で迫力あり

何色も重ねられ立体感あり




女性画家2人を紹介します。

メモとして、今後もっと作品を見て知っていきたいアーティストとしてここに記録しておきます。




View Water A Leaf  2022 2023 津上みゆき

色彩が綺麗だなぁ

タイトルにあるように、水や葉っぱを感じられる。



抽象画は理解しようとする姿勢がないと楽しめないと思います。

ただ、デザイン、ファッションとしてかっこいいという理由で、好きという人もいると思います。


私は学生の頃から現代美術が好きと言ってきたのですが、どこが好きなのか、あまり言葉で説明できないです。

結局、表面的な部分、なんとなくかっこいいから好きなんだと思いますが、そこから一歩進んで、時代背景と作者の生い立ちなどの情報を頭に入れて作品を見るという方法を取り入れて行きたいと思うようになりました。

感覚的に美術を鑑賞するのはいいですが、感情に頼りすぎると、自分の好きなものしか好きにならない気がします。

意味がわからんけど調べたいという作品をひとつ選び、きちんと向き合うことを今後もしたいと思います。

しかし、今回は、たくさんの作品、アーティストがいすぎて、まとまらなかったです。

鑑賞中も頭の中、飽和状態。

まとまらない言葉を生きる 本紹介・感想

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荒井裕樹
文学者、専門は障害者文化論、日本近現代文学



「言葉」「マイノリティ」について考えさせられる1冊。
この本の主旨としても、要約をここに書くことはできない。
この本で語られる、筆者の思いをブログに表現すること自体、気が引けてしまうし、書ききれないということはわかっている。
引用を多くして、本の断片を伝えていくか、自分自身の経験と重ねて感想を書いていくべきか、この思いをどうやったら共有できるのだろうか、とずっと考えていた。
何周か回った後、「まぁ、まとまらない記事でも書いていこうか」と思い、PCに向かった次第である。



ーーーーー
ある人の「生きる気力」を削ぐ言葉が飛び交う社会は、誰にとっても「生きようとする意欲」が湧かない社会になる。ぼくは、そんな社会を次の世代には引き継ぎたくない。
p29 正常に「狂う」こと

ーーーーー

言葉の反乱と言おうか、ただ、言葉について真剣に考えていないから口を出てしまうのか、人を傷つける言葉を使うことがある。

心ない言葉。
私も、家族に対して、同僚に対して、初対面の人に対してさえ、言ってしまっている。
そんな時、後悔し、何故そんな発言をしてしまったのか考える。
感情的になっていた、理性が働いていない状態。
その背景には、疲れていて頭が働いていない、お酒を飲んでいたなどの要因がある。

この本を読んだ後考え直してみた。

もしかしたら、その発言は自分自身の内から出た言葉というよりも、社会全体の影響を受けた言葉かもしれない。

SNSで見た暴力的な言葉、誰かの本音、どこかで耳聞きし、自分の感情にぴったりだと思って、無意識に使いたくなってしまう。
「表現の自由」があるので、そういう言葉を否定してはいけないのだろうけど、
私は、自分自身が使う言葉を自発的に選択したいと強く思った。


私は、会話に苦手意識を持っている。
自分の発言が軽率な気がして、できるだけ発言をしないようにしていた時期もある。
代わりに色々な思いを、ブログ記事を書くことで、発散していた。
文章を書くことは、まさに言葉を選択する行為である。


ただ、歳をとるに連れ、会話・対話の大切さに気付かされることが増えた。
言葉を大切にしながら会話をしたいと思った。
もちろん今でも、無意識に暴力的な言葉を使ってしまうこともあるけれど、対話を続けていきたい。



ーーーーー
<希待>とは、<人間の善性や自己治癒力>を信じ、その<可能性>を<無条件>に信頼しようという姿勢のこと。ぼくはこの言葉を、見返りを求めず相手のことを信じてみようという態度のことだと解釈した。

p 56 「希待」という態度
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<希待>という新しい表現を知った。
期待ではなく、希待。
無条件に誰かを信頼する大切さを30代に入って実感しつつある。
一番わかりやすく、希待しちゃう相手は、夫である。
たくさん迷惑をかけあって、心ない言葉を言い合ったりの繰り返しで紡がれた夫婦生活。
価値観が全く異なり、お互いがそれぞれ大切にしていることを破壊し、けなしあったりもするけど、それでも希待し続けようと思う。
そのためには対話が必要である。



ーーーーー
悩みって、強引に解決を目指しても解決しない。むしろ、悩んでいること自体を認めてもらうだけで、楽になれることも多い。 

p 58 「希待」という態度
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世の中どうしようもない、解決できないことがたくさんあると実感したのも30代に入ってから。
それは、不妊治療のことだったり、愛鳥との別れだったり。
悩み、落ち込んだ時期、ただ話を聞いてくれる存在にどれだけ救われたことだろう。
だから私も、誰かが悩んでいる、その状態を認められる人になりたい。



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「いまこの瞬間、怒っている人・憤っている人、歯がみしている人」を孤立させないことからはじめたいと思う。「自己責任」という言葉が、「人を孤立させる言葉」だとしたら、人を孤立させない言葉を探し、分かち合っていくことが必要だ。
p 198 「黙らせ合い」の連鎖を断つ

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私の周りにも、悩んでいる人がいる。
私は、今までその人たちに対して、「時間が解決するだろうし、そっとしておこう。」という態度を取ってきていた。
しかし、「いつでも側にいる」という姿勢を見せることが大切だと思う。
単純な言葉でもいいから、LINEをしてみる、など。
時に、表面的な言葉しか使えないこともあるだろう。
そういう言葉を使うくらいなら黙っておいたほうがいいと思ったこともあったけど、それでも言葉を探し続けながら、その人に伝えていきたい。
孤立させないし、私自身も孤立しない。


「自己責任」で片付けられる問題が結構ある。
大人になってからは特に、「それは、あなたの選択したことでしょう。特に何も評価もしないし、意見も言いません。」という態度。
また、友人や家族に対しても「誰でも価値観が違うから仕方がない。選択を誤っているように感じるけど、あなたが選んだ道だから、認めて応援してあげよう。」
と放っておいたこともたくさんある。
一見、個人を尊重した、優しい言葉に思えるけど、実は相手のことをそこまで考えられていない態度ではないかと思う。
その人を本当に大切に思うなら、意見を伝えるべきかもしれない。
選択したことに対して否定はしないものの、この選択を続けることでどう言ったことが起こるのか一緒に考えたりする。
そういうことが大切なのではないかと感じた。


他、惹きつけられた言葉。
「権利」に鈍ければ「差別」にも鈍くなる。
今回のこの記事では、敢えてマイノリティや差別のことについて書かない。
ただ、一言伝えるのであれば、私は今、女性であることについて考えている。
世の中の女性のことを知りたいと思っている。




こんな感じで、作者の語る言葉は、私たちが日頃思っていても言語化できてない、実感はしてても深く考えようとしてこなかった内容がたくさん詰まっている。
もう、多すぎて語りきれない。


「まとまらない」を愛おしみながら、この記事を終えようと思う。